人には葬儀も供養もして、動物には供養はすれど葬式はしない。これがエゴでなければ、一体何なのでしょうか。

故人をしのぶ葬儀と法事のマナー

葬儀と供養のかんちがい

故人をしのぶ葬儀と法事のマナー
昨日、家のじいちゃんが死んだ、と、昨日、家の飼ってたペットが死んだ、では、受け取られ方がまったく違うのはなぜでしょう。前者は、葬儀も供養もして、悲しみにくれている印象があります。おそらく、それは大変だったね、と同情と哀れみのの目をむけるでしょう。しかし、後者は悲しんでいるものの、大変さが伝わってきません。ペットを家族だと思って育ててきて、しんだら自分の肉親が死んだと同じような悲しみにくれて、涙を枕でぬらしながらいくつもの夜をこえているかもしれないというのに、なぜかそのことを人に言えば、たかがペットで、という目を向けられます。感じている悲しみは一緒なのに、受け取られ方が違うのは、いったいなぜなのでしょう。

人と動物、ここには明確な違いがありません。人間、と、辞書で引くと、生物としての人の定義が書かれています。ヒト科ヒト目の哺乳類、まあこんなところでしょう。今度は、動物、と、辞書で引いてみましょう。すると生物の中の『人間以外』のもの、と書いています。これはどういうことでしょうか。明確な定義はありません。だったら、なぜ区別する必要があるのでしょう。それはきっと、人間は動物ではないと定義しなくてはならなかった、のでしょう。ヒトのエゴ、つまりはそういうことです。ヒトも動物も、明確な違いはないのですから、葬儀も供養もしてあげればいいのです。しかし、供養はすれど、葬儀はしない、これがヒトのエゴではなくて何なのでしょう?私はそう思うのですが。