今やほとんどの人が葬儀は仏式で執り行う。先祖供養は元々仏教の考えにないものである。どうしてそうなったのだろう。

故人をしのぶ葬儀と法事のマナー

仏式の葬儀は仏教にない先祖供養を無理に取り入れたものである。

故人をしのぶ葬儀と法事のマナー
祖先を敬う。当たり前のことのようだが、果たして現代ではどうだろうか。確かに形だけにおいては、葬儀を執り行う。そして、大多数が仏式である。しかし、本来仏教では、先祖崇拝の理念は存在しない。無の宗教だからである。亡くなった方の魂は消えてなくなる、消滅する、無になるのである。仏陀は入滅したではありませんか。彼は日本人ですか?インド人です。私たち日本人のほとんどが世界各地から日本教と称されるように、クリスマスの次はお正月、節分、お彼岸、七夕、結婚式は教会で、お葬式は仏教で、初詣は神社もお寺も行く。宗教はただのブランドですか?デパートですか?ご先祖を敬わずに、生きていた魂の存在もないものとすることは、日本人にはありえない、考えられないことであった。仏教は渡来してきたのである。よくいえばお客さんである。日本に根付いて随分経ち、教義は日本人に合ったもの、日本仏教となった。であるならば、わざわざ仏教で供養する必要はないのではないだろうか。

形だけでいいのだろうか。本来備わっていない、形だけ借りて中身が違うものでもいいのであろうか。我々は元々どこから来たのであろうか。猿から進化したのであろうか。古事記や日本書紀は嘘なのだろうか。嘘を歴史書と、我々は称しているのであろうか。供養とはなんであろうか。魂の存在を信じていないのだろうか。目に見えているものだけが、この世のすべてなのであろうか。元素は目に見えるだろうか。葬儀も単なる形だけの儀式、ご挨拶なのだろうか。